池本康弘が広げていく世界

池本康弘です。旅してみたい場所などを中心にブログ展開していければと思います。

池本康弘 赴きたい「インカ帝国」

池本康弘、今現在「インカ帝国」に興味を持っています。

皆さんは「インカ帝国」をご存知ですか?

名前は聞いたことがあるけれど、

実際どのようなものか知らないという方が多いのではないでしょうか。

今日はそのインカ帝国について少し学んでみたいと思います。

高度な文明を持ちながら文字文化がなかった謎の「インカ帝国」

アンデス山脈の中で栄えた帝国があったのをご存知でしょうか?それがインカ帝国です。ケチュア族最後の帝国で、アンデス文明を継承した文字を持たない国。だからこそ、謎めいており神秘に満ちた帝国とされ現代人の興味をそそるのではないでしょうか?今回は、アンデス山脈最後のインカ帝国の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

インカ帝国とは?

インカ帝国とは?
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かつてケチュア族が南米ペルーやボリビアチチカカ湖周辺)、エクアドル、チリ北部の周辺にあった、インカ帝国は謎に満ちた不思議な国です。
文字を持たなかった彼らの文明は、現代人に歴史をさらすことなく謎に包まれたまま。
天空の遺跡マチュピチュや太陽神殿などこのインカ帝国には、高度な農耕や金属文化があり、栄えていたことを垣間見られます。
インカ帝国の遺跡が残る、この帝国の首都クスコとマチュピチュ世界遺産に登録されています。

南米のアンデス地方を中心に栄えた帝国、インカとはどんな文明を持ち、どんな人々が暮らしていたのか、何もかもがほぼ謎のままなんです。
インカ帝国は、新大陸を発見したスペインにより征服され、1533年に滅亡しました。
インカ帝国を知るには、スペインが残した記録だけなんです。

インカ帝国の人々はどこから来たの?

インカ帝国の人々はどこから来たの?
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インカ帝国を造ったといわれるケチュア族は、もともとここに住んでいた人々ではないといわれています。
彼らがどこから来たのかを証明するものはなく、伝説だけが残っているんです。
彼らが辿り着いたとされる説は2つあり、ペルーとボリビアの国境付近にあるチチカカ湖からという説と、クスコの南にあるパカリクタンボから来たという説。
アンデスの研究者たちは、チチカカ湖地方にあったティワナクをプレインカの一つとしています。

どこが発祥かもわかっていません。
元々はタンプ・トコが聖地であるといわれていましたが、ピューマの岩を意味するプマオルコとマルカリャクタが本当の聖地だという説があります。
後で、残された資料の中に、タンプ・トコがインカ発祥の地であると書かれています。
パカリクタンボの先住民がインカ直系の子孫だとスペインの行政当局に申し出て、パカリクタンボの支配権を認めさせたという資料が残っているというのです。
この話も信ぴょう性はないのですが…。

クスコ王国からインカ帝国

クスコ王国からインカ帝国へ
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インカ帝国の首都クスコには、13世紀にクスコ王国があり、これがインカ帝国の前身だといわれています。
ここにいたケチュア族はクスコへ移住し、インカ族となったのです。
最初にインカ族を統治したのは、マンコ・カパックでした。
彼は小規模な都市国家を築いたのです。
ここから彼らは海岸部へと勢力を伸ばしていったと考えられています。

標高5300メートルに及ぶ高原で、居住地を発見したのです。
ここにはクスコの要塞サクサイワマンも見つかっています。
彼らの神の象徴は太陽神。
これを語るべく太陽神殿もクスコで発見されています。

インカ国家はなぜ帝国と呼ばれているの?

インカ国家はなぜ帝国と呼ばれているの?
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同じ南米のアステカやユカタン半島中央アメリカに広がるマヤ文明には帝国という名前はありません。
なぜインカだけには帝国と語られているのでしょうか。
推測にしかすぎませんが、インカの王は領域に直接的に支配したものではなく、全土の多くの部分を支配しただけでした。
噛み砕くと地方の数多くの国家や小さな首長国は以前からインカ王の支配にあり、これらをインカの王が統一していたと考えられたからです。

1533年ごろのスペインの考え方だと、統一の歴史を持たなければ帝国とはいえないとされていました。
アステカは服従させた地域を統一した形跡はなく、インカは小さな首長国を統一した歴史があったと見られたためと思われます。
これを証明するものとしてインカの道があるのです。

このインカの道は帝国全土に張り巡らされており、一定の距離ごとに宿駅や物資貯蔵庫が設けられています。
近隣の共同体から徴兵された人々が在住し、飛脚のような役割を果たす人がいたと記録に残っているのです。
日本でいう中山道などのようなものでしょうか?この道はインカ帝国周囲に今でも残っており、マチュピチュの近くでも見ることができます。

遺跡も自然もとても美しい

淡い色の美しい石を積み重ねてできた遺跡は

荘厳さの中にも、若干現代に馴染みやすい雰囲気があり

尚更気になってきました。

ぜひ近いうちにこのインカ帝国の遺跡を巡ってみたいと思います。